< 才 市 語 録 >


歓喜の御縁にあうときは
時も 所も 言わずにおいて
わしも歓喜で あなたも歓喜
これがたのしみ なむあみだぶつ


念仏は慚愧歓喜の絶えなしの仏
なむあみだぶつのなせる仏


慚愧の御縁にあうときは
時も機もあさましばかり
これが歓喜のもととなる
なむあみだぶつのなせるなり


この法は慚愧法 慚愧法なら歓喜法
歓喜ならなむあみだぶつ


喜び歓喜の多いのもあさまし
慚愧の多い もとの山の水の多いのも
もともと海の水が多いからのよ
慚愧 歓喜の味もこれで知れるよ
慚愧 歓喜も慈悲の海
これが六字のなむあみだぶつ


阿弥陀さんに 阿弥陀を貰て
なむあみだぶつを申させてくださる


慈悲が阿弥陀さん なむあみだぶと
拝ませてくださる 慈悲がなむあみだぶつ


わが罪を功徳になさる大恩
なむあみだぶつ


大恩 大恩 御大恩 この仏は
才市を仏にする仏で
あむあみだぶつと申す大恩


なむ仏は才市が仏で才市なり
才市がさとりを開く南無仏
これを貰ろたが なむあみだぶつ


南無は阿弥陀の名号で
阿弥陀は南無の名号で
これが才市がなむあみだぶつ


わしが聞いたじゃありません
わしが聞いたなありません
心に当るなむあみだぶつ
今はあなたに打たれ取られて


わしが阿弥陀になるじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なむあみだぶつ


わしの心は あなたの心
あなたの心が わたしの心
わしになるのが あなたの心


お慈悲も光明もみなひとつ
才市も阿弥陀もみなひとつ
なむあみだぶつ


やれうれしや弥陀の判
わしの心についてある
なむあみだぶつと申すはんこ
子供がもらうてなむあみだぶつと申すばかりよ

親様はわしが火の手のなかに住み
なむあみだぶつと申す親様


同じ迷い迷いといいましても
迷いが迷いにおると
法が迷いにおるのと違いがしております
自力他力はここでわかります


才市 今度の次生は どこに行く
なむあみだぶつの里にとられて
なむあみだぶつ


臨終済んで参るじゃない
臨終済まぬとき参る極楽
なむあみだぶつに済めてあること
なむあみだぶつ


才市や新仏 阿弥陀は古仏
古仏親様わしが親様
なむあみだぶつ


風と空気は二つなれど
一つの空気一つの風で
わしと阿弥陀は二つあれど
一つお慈悲のなむあみだぶつ


もらわれて心浄土に初参り
また帰る娑婆の悪趣に
衆生済度をさせてもらいに


わしの臨終あなたにとられ
臨終済んで葬式済んで
あとの喜びなむあみだぶつ


臨終まだ来ぬ来ぬはずよ済んでおるもの
臨終済んでなむあみだぶつ


今が臨終わしが臨終あなたのもので
これが楽しみなむあみだぶつ


「才市さん、おいでか」
「へ、わたし家におります
御主人様は今留守であります
衆生済度に出ております
もう、帰てであります
ま、ごゆっくりにしなさりませ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
もう、帰てでありました ありました」


信心は衆生済度の元入れで
貰っていただくなむあみだぶつ


このあさましが今娑婆の世で
今親様と遊んでおりますよ
わたしや親様と弥陀の浄土に
遊びとられますよ


この悪人は仏を楽しむなむあみだぶつ
仏は才市が機を楽しむなむあみだぶつ
衆生済度をさせて楽しむなむあみだぶつ


南無仏は才市が仏で才市なり
才市がさとりを開く南無仏
これを貰ろたがなむあみだぶつ


無常はわたし この無常が
涅槃をさとること なむあみだぶつ


ありべきことと聞くじゃない
初言の南無阿弥陀仏と聞くばかり


なむあみだ 阿弥陀様に参ること
南無の味わい なむあみだぶつ


今日を味わう歓喜心
なむあみだぶつのなせる信心
なむあみだぶつ


道理理屈を聞くじゃない
味にとられて味を聞くこと
なむあみだぶつ


御命日は才市が御命日で
これが才市かなむあみだぶつ


凡夫で聞くじゃない凡夫は化け物
あなたわたしの心に当る


わしが阿弥陀になるじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なむあみだぶつ


お慈悲も光明もみな一つ
才市も阿弥陀もみな一つ
なむあみだぶつ


わたしゃ久遠の迷いでも
わしの親様久遠の親で
御恩嬉やなむあみだぶつ


世界も愚痴でわしも愚痴で阿弥陀も愚痴で
どうでも助ける愚痴の親様
なむあみだぶつ


わたしゃあなたに眼の玉貰て
あなた見る玉
なむあみだぶつ


親に抱かれて子はここに
親に抱かれて
なむあみだぶつ


才市何処が浄土かい
ここが浄土のなむあみだぶつ


参らせて極楽いただくなむあみだぶつ
この娑婆でいただく信心の月


阿弥陀様の御名を聞き
これが才市になる仏で
この仏即ちなむあみだぶつ


才市をほとけにこしらえる親様
なむあみだぶと申す阿弥陀よ


この闇が六字の月に照らしとられて
娑婆ながら六字の中におるぞ嬉や


娑婆は夜明けで浄土の夜明け
明けて楽しむなむあみだぶつ


久遠とて別にあるじゃない
この世界久遠の世界一念発起もここにある
なむあみだぶつ


ほとけの六字六体で
わしに来たときなむあみだぶつ
これをわたしに知らせる親は
なむあみだぶつ


悪を見る眼元が南無の眼元なら
阿弥陀仏にこれをとられて
これが六字のなむあみだぶつ


このあさましが今娑婆の世界で
今親様と遊んでおりますよ
わたしゃ親様と弥陀の浄土に
遊びとられますよ


阿弥陀どん あなたのう
このおれをえらァい助けたいそうな
ありがとうござる


喜びの歓喜の多いのもあさまし
このあさましが慈悲の鏡に照らされて
今は鏡の中の鏡なり

(妙好人浅原才市)



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