白隠禅師・千本松原




”駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠”

白隠禅師(1685〜1768)
臨済宗中興の祖と仰がれている高僧。
釈迦・観音・達磨などの禅画をたしなみ
生涯、百姓や町人の中にあって
平易な禅を説き続けました。




沼津市原「松蔭寺」

白隠、十四歳のとき(1698年)
隣の西念寺の感恵坊という人について熱心にお経を習った。
十五歳のとき
松蔭寺の単嶺和尚について正式に出家得度、慧鶴と名づけられる。
まもなく、沼津大聖寺の息道和尚のもとにゆき
十九歳まで修行。
それ以降、清水の禅叢寺、美濃瑞雲寺、洞戸の保福寺
岩崎の霊松院、伊自良の東光寺などに行脚し
二十二歳のときは
遠路、若狭の常高寺、伊予の正宗寺へと行脚する。
伊予からの帰途、さらに各地を行脚しながら
駿河の受業寺の松蔭寺に帰ったのは
二十三歳のときであった。
(この年の十一月二十三日、富士山が大噴火した)




衆生は本来仏なり
水と氷の如くにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近くを知らずして
遠く求むるはかなさよ
例えば水の中に居て
渇きを叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて
貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は
己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて
いつか生死を離るべき
それ摩訶衍の禅定は
称嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
念仏懺悔修行等
その品多き諸善行
皆この中に帰するなり
一坐の功を成す人も
積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いずくに有りぬべき
浄土即ち遠からず
辱なくも此の法を
一たび耳に触るる時
讃嘆随喜する人は
福を得ること限りなし
いわんや自ら回向して
直に自性を証ずれば
自性即ち無性にて
すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し
無相の相を相として
往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として
謡うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく
四智円明の月さえん
この時何をか求むべき
寂滅現前するゆえに
当処即ち蓮華国
此の身即ち仏なり
(白隠禅師坐禅和讃)




白隠にとっては美もなければ醜もない
美醜一如である。
そんな世俗の美醜の判断を超越し
人々に福をもたらすお多福美人
それが白隠の描くおふくさんである。

白隠のお多福像のもうひとつの特徴は
その着物に「寿」字が記されていることである。
「寿」は「いのちながき」こと、長生きできることである。
お多福が「寿」を着ているのだから、あわせて「福寿」となる。
永遠の生命を体得できるのだ
という白隠の教えを象徴したものが
「お多福」である。








 




山下清






<千本松原小松原>



坊やはよい子だねんねしな〜ア
この子の可愛さ限りなさ〜ア



天に昇れば星の数〜ウ
七里ヶ浜では砂の数〜ウ



山では木の数萱の数〜ウ
沼津へ下れば千本松〜ウ



千本松原小松原〜ア
松葉の数よりまだ可愛〜イ
ねんねんころりよおころりよ〜オ

静岡県沼津の子守唄「この子の可愛さ」



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