< 采 根 譚 >

中国の明の万暦年間(1573〜1619)の人、”洪自誠”がのこした随筆集である。
「采根」とは読んで字のごとく、菜っ葉や大根のような粗食のことである。


○真味は、ただこれ淡
刺激のつよい酒、こってりした料理。
だが、そこには真の味わいはない。
あっさりした感触にこそ深い味わいがあるのだ。
あっと言わせるような派手な振舞い。
だが、そこには「至人」の境地は見出せない。
平々凡々であることこそ、「至人」の境地なのだ。

○三分の侠気、一点の素心
侠気を持たないものには友との交わりはできない。
純粋な気持ちをすっかり失ってしまっては人としての成長は望めない。

○暗室のなかにも晴天あり
心さえ澄みわたっていれば、暗黒の場所にいても光明に包まれ
良心を見失うことはない。
心が曇っていれば、光明のなかにいても
悪魔の誘惑に本心を奪われてしまう。

○わが心を観るくふう
心が静かなときには知性が澄み切っているから
自分の心の実態をよく認識することができる。
また、心がゆったりしているときには感情が落ちついているから
自分の心の働きをよく観察することができる。
そして、心が淡々としているときには
情緒が安定しているから
真の心の喜びを味わうことができる。

○天下の平和はわが心から
自分の心をよく反省し、つねに平静を保っておけば
全世界はすべて満ち足り、何の不平を感じることもないであろう。
自分の心を自由にして、つねにひろびろとさせておけば
全社会からとげとげしい心は消え去ってしまうだろう。

○偉大なる平凡
最高に完成された文章は、一向に奇抜なところがない。
いおうとすることをピタリといいあてているだけだ。
最高の境地に達した人格は、少しも変わったところがない。
ただ、ありのままに生きているだけだ。

○真価をおおうもの
すべての人の心の底には、必ず真の文章
すなわち生まれながらの理性が備わっている。
だが多くの場合その理性は
がらくたのような知識におおわれて
その真価を発揮していない。
すべての人の心の底には、真実の音楽
すなわち天から授かった感性が備わっている。
だが、その感性も、たいていはあやしげな芸術によって曇らされ、輝きを失っている。
道を学ぼうとする者は
まず心中に入りこんだ夾雑物を一掃することによって
埋もれていたみずからの理性と感性とを掘り起こし
それを活用していかなければならない。

○波を静め、曇りを拭う
水は波さえ立たなければ自然と静まり
鏡は曇りさえしなければ自然と明らかになる。
人の心も、無理に清くしようとしても、できるものではない。
心を濁らす雑念を去れば自然と澄みわたってくるものだ。
心の楽しみも追い求めては得られない。
心を苦しめる執着さえなくなれば
自然と楽しい境地となる。

○俗臭を厭う
町住まいの人と交際するよりは、山中に住む老人を友としたい。
大邸宅へご機嫌うかがいにいくよりは、あばら屋に住む友を訪ねたい。
町中のゴシップを聞くよりは、木こりや牧童の唄でも聞きたい。
現代人のスキャンダルを話し合うよりは、昔の人の優れた言行を語りたい。

○変人にはなるな
俗臭をなくしさえすれば、それだけでもはや非凡である。
むりに非凡を気取ろうとすれば、いや味たっぷりな変人になってしまう。
世間の汚れに染まらなければ、それでこそ清潔といえる。
世間から離れて清潔になろうとすれば、一人ぼっちのひねくれ者に終わる。

○永遠に香るもの
一点の慈愛の心によって
天地の間をあたたかい和気で満たすことができる。
一片の清潔な心によって
百代の後までも人の心を清らかにすることができる。

○手段に溺れず、現象に惑わされず
書物を読むなら、その真髄にふれて踊りだしたくなるまでに読め。
そうしてこそ枝葉末節にとらわれない。
物事を観察するなら、その本質を見通して、わが精神がそれと一体となるまで観よ。
そうしてこそ表面の現象に迷わされない。

○物欲を去れば
物欲のない心は、澄み切った秋空のよう。
かたわらに琴と書物を置いて、あたかも仙郷にある心地。

○早秀は晩成にしかず
あでやかな桃やすももの美しさも、松やひのきの常緑のみごとさには及ばない。
甘い梨やあんずの味わいも、だいだいや蜜柑のさわやかな香りには及ばない。
すべて、派手ではかないものは、地味でも生命の長いものには及ばず
早熟なものは、じっくりと成熟するものには及ばない。

○人生の真境
静かにおさまった風と波、そのなかにこそ本当の人生がある。
淡白な食物の味、時たまの静かな物音、そのなかにいたこそ、わが本心に立ち返る。

○永遠の命
夜更けて聞く鐘の音に、わが世は夢のまた夢と知り
渕に映る月かげに、天地のひろがるわが命を思う。

○無言の教え
鳥の声、虫の声も、真理を告げる無言の教え。
花の姿、草の色も、道を悟らせる文字無き文章。
すべて道を学ぶからには、心のうちを澄みわたらせ
何事をも悟りをひらく端緒とする心がけが大切だ。

○悟りは今、ここで
今すぐ雑念を去れば、今すぐ悟りをひらくことができる。
平穏無事に過ごせるような境遇を待っていては
楽隠居の身分になっても、その機会は来ないだろう。
たとえ仏門に入っても、心の迷いはいつまでもさめることはない。

○心がけ次第
永い短いは気の持ち方で決まり、広い狭いは心がけ次第で決まる。
おちついた気分の持ち主には一日が千年の長さとなり
ゆったりした心の持ち主には狭苦しい部屋も天地の広さとなる。

○欲に限りなし
はげしい欲望の持ち主は、金をもらえば玉がもらえなかったことをうらみ
貴族に任命されれば大名になって領地を与えられなかったことを悔む。
たとえ富貴の身であろうとも、心は乞食と変わらない。

○去るも留まるも
谷から湧き出た白雲は、去るも留まるも思いのまま
何事にもとらわれることがない。
空にかかった明月は、地上のさわがしさにも静けさにも
わずらわされることはない。

○あるがまま
禅宗には、「腹がへったら飯を食い、疲れてきたら寝てしまう」
という言葉がある。
また詩を作る心得として
「目の前の眺めをふだんの言葉で」という教えがある。
思うに、最も平凡ななかから、最高の境地が生まれ
最もやさしそうなことが、実はいちばんむずかしいのだ。
だから作為を捨て切れなければ、容易にものの真髄に触れることができず
とらわれぬ心がかえって知らず知らずに
最高の境地に達することがあるのだ。

○心と外界
ざわざわと騒がしいなかでは
日ごろ記憶していたことさえ、うっかりと忘れてしまう。
静かで安楽なときは、とうの昔に忘れていたことまで、さまざまと思い出す。
環境の静けさ、さわがしさは、やはり心に影響して
意識をはっきりとさせたり、曇らせたりするものだ。

○動かされぬ心
我が身をつねにのどかな境地におけば、名誉も恥辱も損得も
わたしの心を動揺させることはできない。
我が心をいつも静かに保っていれば、あれやこれやの批判も、利害も
わたしの心をくらませることはできない。

○妙味を知る者
文字は一字も知らなくとも、心に詩情があれば
真に詩の精神を理解することができる。
偈は一つも学んでいなくとも、心に禅の下地があれば
深い禅の境地に入ることができる。

○やはり野におけ・・・
鉢植えの花はやがて生気を失うし、籠の小鳥には自然の風情は見られない。
人里を離れた山のなかで、花も小鳥も入りまじり
思うがままに飛びまわるさまこそ
のびのびとした真実の姿だ。

○宇宙の心を心として
人間の心と、宇宙の精神とは本来一つのものである。
喜びの心は星や雲、怒りの心は雷鳴や豪雨
愛の心はそよ風や甘露、きびしい心は炎天や霜に通じる。
人の心のなかには宇宙の諸現象がすべて生じるのだ。
それが生じる時も、消える時も、少しもわだかまりを残すことがなければ
その人の心は偉大な宇宙の精神と一致しているといえよう。

○自然にひたる
高窓のスダレをあげて、緑の山々に湧く雲を眺めれば、天地の自由な働きにうたれる。
木々や竹薮がこんもりと茂るなかに、燕や鳩の四季の営みを見れば
心は自然と一つになり、我が身の存在さえも忘れてしまう。

○天然の芸術
林にひびく松風や、岩の間を流れる清水の音に、心静かに耳を傾ければ
これこそ自然のかなでる最高の音楽と聞こえる。
草原のはてを流れる霞や、水に映る雲の影を、心のどかに眺めれば
これこそ自然が生んだ最高の文章と思われる。

○平安を得る道
心のなかに波風が立たなければ
どこにいようとも山は青く、木々は緑のすがすがしい境地。
万物を愛する心がそなわっていれば
何事にであっても魚が水に躍り、鳶が天に舞う自由な心境。

○執着を去る
心のなかに物欲が一かけらも残されていなければ
あらゆる執着は炉の火にあたためられた雪が
太陽に照らされた氷のように、跡形もなく消え去ってしまう。
曇りのない眼で、この世界をみつめていけば
空に浮かぶ月も、波に映るその影も
すべてが明らかになるであろう。

○詩思は田舎の橋の上にあり
詩作の興がおきるのは、田舎の橋の上。
心に浮かぶ一節をかすかに口ずさめば
林も谷もひろびろとわが心に映じてくる。
自然の風光を愛でるなら、静かな湖のほとり。
ただ一人さまよえば山も川も一きわ美しく眼に映る。

○欲に変わりはない
志の高い人は大国を譲るといわれてもこれを辞退し
心の卑しい者は一文の銭にもとびつく。
両者の人格には天地の相違がある。
だが考えて見れば、名誉を欲しがるか、利益を欲しがるかの違いだけで
欲の心に変わりがあるわけではない。
国王は国の統治に心をいため、乞食は食物を求めて叫び続ける。
両者の身分には天地の隔たりがあるかに見える。
だが考えて見れば、大きなことで悩むか、小さなことで悩むかの違いで
心を苦しめていることに変わりがあるわけではない。

○悟りも迷いも心から
心が澄み切っている場合、腹がへれば飯を食い
喉が渇けば水を飲むという平凡な暮らしをしながらも
身も心も健やかで自由にしていられる。
心に迷いが多い場合、いくら禅の教理を論じ
偈を唱えてみたところで、単なる気晴らしにしかならない。

○塵境も真境、僧家も俗家
束縛も自由も、自分の心ひとつだ。
心に自由があれば肉屋にいようが酒屋にいようが、そのままそこが浄土となる。
そうでないときには、琴を奏で、鶴を友とし
花を眺めて清らかな趣味に浸っていようとも
心の悪魔を追い払うことはできない。
こういう言葉がある。
「ひとたび悟りを開けば俗世間にいても真理の世界に身を置くことができる。
まだ迷っているうちは、たとえ僧侶になったとて、心は俗人と変わらない」
そのとうりではないか。

○身はあばら家にいても
狭苦しい部屋のなかに住んでも、一切の執着を捨て去っていれば
色あざやかな軒に飛ぶ雲や、珠のスダレの外に降る雨を眺めずとも
自然の趣きを満喫できる。
盃を傾けて天地の真理に目ざめれば、月に向かって白木の琴を奏で
風に乗せて小さな笛を吹いて楽しむ。

○自然ととけ合う心
雪景色を照らす月の光を眺めれば、心は底まで澄みわたる。
のどかな春風に吹かれれば、心はほのぼのと和んでくる。
自然の姿と人の心は、一つにとけ合って隔てがない。

○生のはかなさ
自分がこの世に生まれてくる前には、果たしてどのような姿をしていたであろうか。
自分がこの世を去ってしまった後には、果たしてどのような姿になるであろうか。
ひとたび、この問題を考えて見れば
一切の執着は消え去って、ただ本心のみが澄みわたる。
こうして心は現実の世界を超越し、絶対の自由を得るのだ。

○先の先まで見とおす
病気をしてから健康のありがたさに気づき
戦乱の世にあって平和のありがたさがわかるというのでは
先の先まで見とおせたとはいえない。
幸福を求めはするが、それが禍いのもととなることを見ぬき
生きる喜びを味わいはするが、それがやがては死に通じることを知っている。
これなら、本当の智者だ。

○野に遊ぶ
気の向くまま裸足になって青草の上をのんびり歩けば
野の鳥も警戒心を忘れてわたしのあとを追う。
気に入った眺めに出会い、襟をくつろげ
散る花の下に腰をすえれば、雲もゆったりと流れてきて
わたしのそばに留まる。

○自然に抱かれて
高い所に登れば心が広々となるし
川の流れに見入れば俗界を離れたい心境になる。
また、雨や雪が降る夜に書物に読みふければ
心のうちは澄みわたるし
小高い丘に一人歌えば清らかな楽しみを味わえる。

○無絃の琴を弾ず
文字で書かれた書物は読めても
文字に書かれぬ宇宙の真理は読み取りがたい。
絃を張った琴は弾けても
絃のない琴を弾くような自在の境地には遊べない。
これでは書を読もうが、琴を弾こうが
とうていその真髄にふれることはできまい。






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