七宝の歴史・日本編

(只今製作中・・・)


目次

  • 近代の七宝
    • 梶常吉
    • 塚本貝助とワグネル/アーレンス商会
    • 万国博覧会
    • 並河靖之
    • 涛川惣助
    • 尾張七宝と京七宝
  • 現代の七宝




  • 皆さんは、七宝と言うとアクセサリーをイメージされるのではないでしょうか. しかし、バッジ七宝から派生してアクセサリー七宝が作られ始めたのは昭和30年代のことで、たかだか50年くらい前のことなのです.
    日本の七宝の歴史は、ずっと古く、遠く古代から始まっています.
    ここでは、簡単に日本の七宝の流れを、図版を交えながらお話していきたいと思っています.
    (図版はクリックすると大きいものが見られます.)

    参考文献 : 「日本の七宝」鈴木則夫・榊原悟著 マリア書房 昭和54年
    特別展 七宝 名古屋市博物館 1989年



    古代の七宝

    亀甲形金具 (7世紀) 重要文化財指定

    日本の七宝の歴史は遠く古代にまで遡ります.
    しかし、それら古代の遺品で現存しているものはほんの数例しかありません.
    この亀甲形金具は、7世紀ごろのものと考えられています.
    奈良県明日香村の牽牛塚古墳 (けごしづかこふん) より出土したもので、乾漆棺の飾り金具と推定されています.
    奈良県立橿原考古学研究所付属博物館蔵 : 3.3×4.6cm






    黄金瑠璃鈿背十二稜鏡 (7〜8世紀)

    正倉院の宝物の中に黄金瑠璃鈿背十二稜鏡があります. これは、銀製の鏡の背面に、31枚のパーツに分けて焼成された金胎七宝を貼り合せたもので、大変保存状態のよいものです.
    素地も金属線も、金を使用しています.
    正倉院宝物に関する文献には、この鏡の記載がないために、どこでいつ頃作られたものかについては様々な説があるようです.
    7〜8世紀頃、大陸で作られて、日本にもたらされたとの説が有力視されています.
    正倉院蔵蔵 : 径 18.5cm


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    中世の七宝


    中世には、ほとんど見るべきものはありません.
    平安時代には唯一の遺例として、宇治平等院鳳凰堂の扉留め金具があります.
    室町時代には、唐物として、中国よりの渡来品が珍重されました.そのころの美術品を鑑定、記録した 「君台観左右帳記」という文献の中に “七宝” という語がはじめて登場します.しかし、その色彩の華麗さが、かえって茶人の受け入れがたい所と取られたのでしょうか、一般的な支持は得られなかったようです.


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    近世の七宝


    桃山時代になると、大書院建築の障壁画に象徴されるように明るく動的で、色彩の豊かな芸術が生まれました.このあたりから、室内装飾の脇役としての七宝が脚光を浴びてきます. この時代の代表的な七宝師に、平田道仁と、嘉長がいます.そしてこの頃から江戸中期にかけて、日本の七宝は、大輪の花を咲かせ、その後、再び衰退していくのです.


    平田道仁 (1591〜1646)


    花雲文七宝鍔 重要文化財指定 径8.4cm

    平田道仁の作と伝えられている刀の鍔です. これは刀の鍔ですから、素地は鉄でできています.ところが七宝の釉薬は、鉄には焼き付けることが出来ません.
    従って、この七宝の文様の部分は、金の箱を作ってその中に七宝を焼き付け、その箱ごと鉄の地に象嵌したものであると考えられています.
    また、鮮やかな透明色を使ってあることも驚きの一つです.当時の七宝は「泥七宝」と言って、不透明の釉薬が使われていました.
    安定した透明色が得られるようになったのは明治以降、後述するワグネルによってです.ところがこの時代にこのような透明色の作品が存在しているのです.
    また、部分的に施されている赤透は、柿右衛門が赤絵磁器を作り出すよりももっと以前の作品であることを考えると、その技術の水準の高さに驚かされます.




    嘉長 ・ 小堀遠州


    菊文引手 桂離宮・中書院 一の間の引手 8.3×3.4cm

    平田道仁とほぼ同時代に活躍していた七宝師に嘉長がいます.
    嘉長は “桂離宮” の七宝引手類の制作をしました.
    “桂離宮” は、当時の大名であり茶人でもあり、そして何より当時の美術文化に多大な影響を与えたアートディレクター・小堀遠州の作品です. 遠州は特に七宝を愛して、自らも七宝の茶器を愛用していたと言い伝えられています.
    従って、小堀遠州の手になる建築には、七宝の引き手、釘隠しが使われていることが多いようです.
    カラーの図版が手に入らなくて、モノクロですけど…カラー図版が見つかり次第変える予定です.それまで、我慢して下さい.


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    加賀の七宝


    (百工比照の内) 鳥籠形釘隠 重要文化財指定 前田青徳会蔵 14.0×19.5cm

    近世にあって、加賀・前田藩が七宝に対して示した熱意は特異なものでした.
    五代藩主前田綱紀が、「百工比照」 という、様々な工芸の製品や技法の標本を収集分類したコレクションをまとめていますが、その中に一連の七宝釘隠があります.
    これらは五代将軍綱吉を招くために作られた 「御成書院」 に使われたもので、いずれも模様部分を彫りこんで七宝釉を施した象嵌七宝であり、江戸時代中期の七宝の代表的なものといえます.






    日光東照宮


    位記宣旨箱 鍵部の飾り金具

    日光東照宮は近世の七宝の一大宝庫といわれています.
    この “位記宣旨箱” は、梨子地に平蒔絵による葵紋を全面に散らしてあり、その鍵部の飾り金具に七宝が使われています.
    その他にも、渾天儀 ( 天文機器の一種 )や、拝殿前の鋳銅製の燈篭の一部に七宝の施されたもの、あちこちに使われている飾り金具などに七宝が使われています.
    ただ、現在の七宝とはかなりイメージの異なった “泥釉” が使われているために、気付かずに見過ごしてしまう場合も多いようです.


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    文具・調度


    鶴菱紋水滴 個人蔵 長径12.5cm

    江戸時代前期から中期にかけては、文具・調度の類に七宝が多用されています. 調度類として、有名なものは、初期の頃では、京都・曼殊院 小書院の富士山形の釘隠、名古屋城上洛殿の引き手、中期には、京都・角屋の襖の引き手等があります.
    しかし、どういうわけか、江戸後期になると、その原因は定かではありませんが、七宝は技術的にも稚拙なものとなり、衰退していってしまったようです.






    刀装具


    上: 富士山鹿図小柄 伝平田道仁作 長9.7cm
    下: 雪山夜景図小柄 伝平田道仁作 長9.6cm

    平田道仁から始まる平田家は、七宝の技法を一子相伝として、他に洩らすことなくいたようですが、後年は必ずしも平田家の独占ではなくなったようです.
    平田家では、もっぱら刀装具などを中心に作品を作っていたらしいのですが、明治維新を迎えて廃刀令により、その職を失います.しかし、まもなく叙勲制度の新設により平田七宝の技術を変われて勲章の制作に携わるようになりました.


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    近代の七宝

    梶常吉  (1803〜1883)

    正明寺蔵 伝梶常吉作 香炉 : 口径21.6×高14.2cm

    梶常吉は、尾張 (現在の名古屋市) で、鍛金を生業としており、或る時たまたま古書の中に七宝焼の記事を見つけ、その再現を思い立ちました.
    ところが、その古書にかかれている手法では終に完成する事ができなかったそうです.
    その後、オランダ人のもたらした七宝焼を買い求め、研究を重ねて、最後にはそれを砕いて、銅胎に植線を施しガラス質の釉薬をかけたものであるということを知ったと伝えられています.
    しかし、その基本的な材料を知ったとしても、さらに長い時間と多くの失敗とを積み重ねてでなければ、その製法を明らかにする事は出来なかったようです.
    常吉は、そうして完成した技法を秘密にすることなく、人に伝え広める道を選びました.近代七宝の祖といわれる所以です.






    塚本貝助とワグネル/アーレンス商会

    梶常吉の七宝技法はこうして、林庄五郎に伝えられ、それからさらに塚本貝助に伝えられました.しかし、釉薬については秘伝とされ、伝えられませんでした.
    そこで、塚本貝助は、師である庄五郎が買い求める薬品を探して市中を訪ね歩いて、終にそれが、青色ガラスである事を突き止めたといわれています.
    その後、貝助は東京のアーレンス商会の七宝工場の工場長として招かれ、そこでドイツ人科学者ワグネルと共に七宝釉薬の改良に努力したのです.七宝が今日のように光沢のある透明釉薬を使った、華やかなものとなったのは、これから以後の事です。
    ワグネルは、科学者として七宝釉薬の改良に努めたのみならず、日本のすぐれた工芸の育成に情熱を注ぎ、彼を顧問としてその指導のもとに、日本はこの後、万国博覧会に参加するようになります.






    万国博覧会







    並河靖之


    花蝶文花瓶 並河靖之作 東京国立博物館蔵 高18.6cm

    前述したワグネルは、万国博覧会を通じて、日本の七宝を世界に広く紹介しました.日本の七宝はフランスを中心に輸出が盛んになり、隆盛を極めた時代が、明治時代です.
    当時、帝室技芸員の指定を受け、宮内庁御用達となった七宝作家が2人居りました.“二人なみかわ”と称されたのがこの、京都の並河靖之と、後述する東京の涛川惣助です.
    彼は、パリ万国博覧会をはじめ数々の海外博覧会にその作品を出品し、数々の賞を受賞しています.
    靖之は又、七宝制作の傍ら、釉薬の研究を続け、黒色透明釉薬を開発しました.こうして生まれたのが彼の最高傑作といわれている 「四季花鳥図花瓶」 です.

    まだ私が七宝をやり始めた20代の頃、サントリー美術館で、この四季花鳥図花瓶 (口径7.6cm 高36.2cm 宮内庁蔵) と出会いました.
    その、あまりの精緻な美しさに、私も一生の間に一つでいいから、有線を施した立体作品を作ってみたいものだと思ったものです.いわば私にとって、今の仕事の原点と言えるのかもしれません.

    2003年4月1日に“京都市東山区三条通北裏白川筋東入ル”にある、旧並河邸を「並河靖之記念館」として、国登録有形文化財の町家に作品を展示するとともに旧工房や窯場なども公開することになったそうです.一度、暇を見て、行って見たいものだと思っています.






    涛川惣助

    小禽図盆 涛川惣助 東京藝術大学蔵 16.9×22.7cm






    尾張七宝と京七宝