目次
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| 参考文献 : | 「日本の七宝」鈴木則夫・榊原悟著 マリア書房 昭和54年 |
| 特別展 七宝 名古屋市博物館 1989年 |
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日本の七宝の歴史は遠く古代にまで遡ります. しかし、それら古代の遺品で現存しているものはほんの数例しかありません. この亀甲形金具は、7世紀ごろのものと考えられています. 奈良県明日香村の牽牛塚古墳 (けごしづかこふん) より出土したもので、乾漆棺の飾り金具と推定されています. 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館蔵 : 3.3×4.6cm |
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菊文引手 桂離宮・中書院 一の間の引手 8.3×3.4cm 平田道仁とほぼ同時代に活躍していた七宝師に嘉長がいます. 嘉長は “桂離宮” の七宝引手類の制作をしました. “桂離宮” は、当時の大名であり茶人でもあり、そして何より当時の美術文化に多大な影響を与えたアートディレクター・小堀遠州の作品です. 遠州は特に七宝を愛して、自らも七宝の茶器を愛用していたと言い伝えられています. 従って、小堀遠州の手になる建築には、七宝の引き手、釘隠しが使われていることが多いようです. カラーの図版が手に入らなくて、モノクロですけど…カラー図版が見つかり次第変える予定です.それまで、我慢して下さい. |
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梶常吉の七宝技法はこうして、林庄五郎に伝えられ、それからさらに塚本貝助に伝えられました.しかし、釉薬については秘伝とされ、伝えられませんでした. そこで、塚本貝助は、師である庄五郎が買い求める薬品を探して市中を訪ね歩いて、終にそれが、青色ガラスである事を突き止めたといわれています. その後、貝助は東京のアーレンス商会の七宝工場の工場長として招かれ、そこでドイツ人科学者ワグネルと共に七宝釉薬の改良に努力したのです.七宝が今日のように光沢のある透明釉薬を使った、華やかなものとなったのは、これから以後の事です。 ワグネルは、科学者として七宝釉薬の改良に努めたのみならず、日本のすぐれた工芸の育成に情熱を注ぎ、彼を顧問としてその指導のもとに、日本はこの後、万国博覧会に参加するようになります. |
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花蝶文花瓶 並河靖之作 東京国立博物館蔵 高18.6cm 前述したワグネルは、万国博覧会を通じて、日本の七宝を世界に広く紹介しました.日本の七宝はフランスを中心に輸出が盛んになり、隆盛を極めた時代が、明治時代です. 当時、帝室技芸員の指定を受け、宮内庁御用達となった七宝作家が2人居りました.“二人なみかわ”と称されたのがこの、京都の並河靖之と、後述する東京の涛川惣助です. 彼は、パリ万国博覧会をはじめ数々の海外博覧会にその作品を出品し、数々の賞を受賞しています. 靖之は又、七宝制作の傍ら、釉薬の研究を続け、黒色透明釉薬を開発しました.こうして生まれたのが彼の最高傑作といわれている 「四季花鳥図花瓶」 です. まだ私が七宝をやり始めた20代の頃、サントリー美術館で、この四季花鳥図花瓶 (口径7.6cm 高36.2cm 宮内庁蔵) と出会いました. その、あまりの精緻な美しさに、私も一生の間に一つでいいから、有線を施した立体作品を作ってみたいものだと思ったものです.いわば私にとって、今の仕事の原点と言えるのかもしれません. 2003年4月1日に“京都市東山区三条通北裏白川筋東入ル”にある、旧並河邸を「並河靖之記念館」として、国登録有形文化財の町家に作品を展示するとともに旧工房や窯場なども公開することになったそうです.一度、暇を見て、行って見たいものだと思っています. |
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小禽図盆 涛川惣助 東京藝術大学蔵 16.9×22.7cm |
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